横浜地方裁判所川崎支部 昭和62年(わ)749号 判決 1988年12月14日
主文
被告人を懲役五年に処する。
未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。
理由
(犯行に至る経緯)
被告人は、ビデオカメラ部品等製造の会社を経営するB(昭和三年三月一〇日生・本件被害当時五九歳)とその妻であるC(昭和一〇年一二月一八日生・本件被害当時五一歳)の一人娘として出生し、親の右事業の関係から家族で二、三回転居の後、被告人が中学校に入学する頃には現住所である川崎市川崎区<住所省略>の肩書地に落ち着き、以後本件に至るまで両親と同居していたものであるが、かなり以前から両親を嫌悪してきており、両親との同居生活に不満を持ち続けていたところ、高校卒業及び大学受験を間近かにひかえた昭和六一年二月中旬頃、当時川崎市内の他の高校の三年在学中のD(昭和四二年六月一八日生、以下、Dという<編注・①判決被告人>)と知り合い、同下旬以後付き合いを深め、同年四月頃にはDと肉体関係を持つに至り、その後次第に両親との生活を離れたDと二人だけの生活を強く望む様になっていき、折あるごとDに対しそのような願望を打明けていた。
一方、Dは、高校二年の中頃までは比較的裕福な暮らしぶりであったが、その年の秋頃、父の事業の倒産、両親の離婚と不幸が相次ぎ、父と別れてその他の家族とともに母の実家に厄介になっていたが、伯父との折り合いが悪かったことから、昭和六一年三月の高校卒業の後しばらくして東京都稲城市内にアパートを借りて一人住いし、働きながら専門学校に通うことになったが、元来、生活に計画性がなく、欲望のままにローンで物品を購入したりしていたため、被告人と付き合い始めた頃は経済的に苦境に陥っており、かような事情を知った被告人から、会う度に現金を貰うようになったものの、依然生活は苦しく、結局、同年六月下旬で専門学校を休学し、翌七月始めに英会話教材の販売会社に就職しようとしたが数日でこれも辞め、それ以後、もっぱら被告人から渡される金銭をあてにする生活を送っていた。被告人は、先のとおり、Dとの同棲生活を望んでいたが、当のDは、被告人と交際し始めた頃には他の女性とも交際しており、被告人との交際は真剣でなかったものの、昭和六一年七月に入ってからというものは、ほとんど自己の窮状を被告人から貰う金銭でしのいでいたこともあって、被告人がまとまった金額の金銭を家から持ち出せればD自身の生活も楽になると考え、被告人に対し「まとまった金があれば、海外にも行けるし、一緒に暮せる」などと話し、被告人が、昭和六一年八月下旬に、両親の預金通帳やキャッシュカードなどを勝手に持ち出して、家出してきた際には、被告人方に行って被告人の荷物を運び出すのを手伝ったり、右通帳の預金払戻しに必要な印鑑を捜したりしたが、印鑑は見つからないままキャッシュカードを使用して現金四七万円ほどを引き出した。そして、Dは、被告人がいつまでもDのアパートにとどまっているのは自分にとって不都合だと考え、まもなく自己の友人を介して被告人の両親に被告人の居場所を伝えてもらったことから、被告人が両親によって自宅に連れ戻されることとなったが、右四七万円はDにおいてオートバイを購入するなどして使い果たしてしまった。
右家出の一件があってからというもの、被告人は、両親から厳しい監視を受けるようになり、以前のように自分が外出してDのもとに通ったりすることが容易でなくなったため、Dに対し同人の方から夜間被告人宅に忍び込んで来てくれるよう頼み、Dとの付き合いを続けていた。被告人は、両親による監視が厳しくなったことや両親からDについての悪口を聞かされたことで、ますます両親への嫌悪感を深めていき、折あるごとDに対し「親を殺してほしい。親がいなければ一緒に暮せる。」などと、口に出すようになった。かような被告人の言葉に対し、Dは、当初これを冗談半分に聞いていたが、依然として働くこともせず、被告人から渡される金銭で生活していたことから、被告人の気持をつなぐため、同年一一月頃には被告人の両親殺害のための凶器と称して包丁、鉄棒等を被告人に示し、これを預けるなどし、また殺害方法についても、酒に毒物を盛るとか交通事故を装うとか、被告人と適当に話を合わせていたが、現実に殺害を実行することまでは考えていなかった。このようにして時が経過していったが、Dは、一向に仕事に就く気がなかったことから、同年一二月頃には、友人からの借金やオートバイ購入のために組んだローンの金額が多額となっていたものの、その返済のめどが全くなかったうえ、アパートの賃料滞納はもちろんのこと、電気料金や電話料金等も滞納していたため、アパートでの電気や電話の使用も止められ、食費もままならない状況になり、年がかわって昭和六二年にはいっても、かような苦境に変化はなかった。ここに至って、Dは、前年の被告人の家出の際に、被告人方の預金通帳が約二〇冊あり、その預金残高合計が概ね二〇〇〇万円位あったことを見知っており、また、被告人から、自分が一人娘であり、両親には現住地の土地、建物のほか相当の財産があることを聞かされていたことから、たびたび被告人から話のあったとおり被告人の両親を殺害すれば、被告人が全財産を取得し、自分もその財産享有に与かることができ、そうなれば現在の借金を清算したうえ、今後も徒遊生活が送れるとの思いを強め、次第に右殺害を真剣に考えるようになり、夜間被告人方に忍び込んで被告人と会う度に、被告人の両親の殺害方法などを話すようになった。
ところが、昭和六二年三月に至り、Dは、その乱れた生活ぶりが母の知るところとなったため、一時は親に知られる前に右計画を実行に移し、それによって得た財産で借金を清算しようと考えたもののその機会もなく、同年四月下旬には、多額の借金の存在を秘したまま、東京都調布市内で父と同居するようになったが、右同居により、以前のような生活上の心配がなくなり、そのうえ引越し先を隠して従前のアパートを出たため借金の取り立てに追われなくなったことから、しばらく被告人との連絡も取らず、被告人の両親殺害の計画も一時忘れかけていた。一方、被告人は、Dがまえぶれもなく転居してしまったことから、その所在を知ることができないまま困惑した日々を送っていた。
(罪となるべき事実)
被告人は、先のとおり両親に対する嫌悪感を深め、その殺害方法までもDと話し合ったりしていたが、前記の経緯からDの所在も分らずにいたところ、昭和六二年五月下旬に至り、ようやくDの引越し先を突き止め、これまで連絡をくれなかったことでDを責めるとともに、同年三月頃に被告人がDのために被告人名義でローンを組んだうえDの代りに支払っていたオートバイのローン代金を支払うことができなくなって困っている旨告げた。こうしてDは、再び被告人と会うようになったが、右ローン代金については何とかする旨告げるだけで、放置していたところ、同年六月中旬頃、右ローン代金のことを被告人の両親に知られて被告人の両親がDの両親に会いたい旨言っていると被告人から聞いた。Dは、このころ、自己の父に対し、父の紹介先でアルバイトをしている旨告げていながら実際には働いていなかったことに加え、父と被告人の両親が会えば、右ローン代金のことや昭和六一年八月に被告人が家出をした際に現金約四七万円を勝手に引き出して費消していることを父に知られてしまい、今までの借金の他にこれらの代金も自分が負担することになってしまうと考え、相変わらず仕事をする気もなく遊んでおり、総額約二六〇万円の借金を返すめども立たないので、このうえは、借金を返したうえ自分の好きなことをして遊んで暮らすために、従来から被告人と話していた被告人の両親殺害の計画を実行に移そうと考えた。そしてDは当初、被告人及びその両親とDの父が会う前に実行に移そうとしたが、被告人は、今実行に移せば疑われるので急がなくてもよい旨申し向けていたところ、昭和六二年七月上旬頃、Dが数回にわたり前記の被告人宅に忍び込んで被告人に会いに来た際、被告人及びDは、被告人の両親であるB及びCの二名を殺害して、同夫婦の有する被告人の住居地の土地、建物及び預金などの全財産につき同夫婦の唯一の第一順位相続人である被告人が相続により包括承継し、財産上不法の利益を得るとともに、同夫婦を殺害する際に現場にある現金等をも強取し、あたかも行きずりの第三者による強盗事件のようにみせかけること、並びに具体的な殺害方法については、Dが以前被告人から受け取っていた合鍵を使用して、深夜B方に立ち入り、就寝している同夫婦の頚部をそれぞれカッターナイフで切りつけて殺害する方法を取る旨の共謀を遂げた。
被告人は、Dによる右殺害実行を待ち、一方、Dは、ひととおり犯行の準備を整えたものの、一時ためらった後ようやく決心し、前記共謀内容に従い、昭和六二年七月一六日午前三時三〇分頃、かねて準備しておいたカッターナイフ二本(横浜地方裁判所川崎支部昭和六二年(わ)第五〇一号事件・押収番号昭和六二年押第五五号の2、3)、鉛の棒(同押号の6)や手術用ゴム手袋等を携えて川崎市川崎区<住所省略>所在のB方に赴き、同所一階北西の寝室において就寝中であったB及びCの枕元に近付き、五センチメートルほど刃を出したカッターナイフ(柄が黒色のもの・同押号の3)を右手に持ち、B次いでCの順に、いずれもたたきつけるようにしてそれぞれの頚部を切りつけ、その後、体の異変に気付いて起き上がってきたB及びCに対し、右カッターナイフを振り回し、Bの顔面や胸部に切りつけたり、Cの右肩部に切りつけ、左手に持った鉛の棒(同押号の6)でBの身体に殴りかかるなどし、さらに抵抗するBやCともつれ合ってB方一階事務所に移動してからは、「殺してやる。」と怒号しながら、もう一方のカッターナイフ(柄が黄色のもの・同押号の2)でB及びCに切りつけたりし、次にB及びCによってB方南側駐車場まで押し出されてからは、同所外階段付近において、仰向けに倒れたBの上に馬乗りになり、「死ね。死ね。」と言いつつ、その頭部をコンクリートの地面に打ちつけ、さらに植木鉢で殴打し、再びB方一階事務室に入ってからは、警察に電話をしようとしたCに対し、その頚部を両手で締めつけるなどして、両名を殺害しようとしたが、右両名に激しく抵抗されたため、Bに対して加療約二週間を要する頚部切傷、胸部切傷、顔面切傷、頭部挫傷、頭部打撲の傷害を、Cに対して加療約九日間を要する頚部切傷、右肩切傷、顔面打撲等の傷害をそれぞれ負わせたにとどまり、いずれもその目的を遂げなかったものである。
なお、被告人は、本件各犯行について、Dとの間で共謀を遂げた時点から、Dによる犯行実行当時にかけては、精神分裂病(単一型)により心神耗弱の状況にあったものである。
(証拠の標目)<省略>
(弁護人の主張に対する判断)
一 弁護人は、第一に、本件公訴事実のうち、「被告人が、両親に帰属する全財産につき、自己への相続を開始させて財産上不法の利益を得ようと企てた」との点については、Dにはその意思が存したが、被告人にはそのような意思はなく、かつ、その点についてはDとの共謀もなかった旨、第二に、本件犯行当時、被告人は是非の弁別能力を欠き、仮にその弁別能力が一応あったとしても、それに従って自己の行動を統御する能力が欠如していたから心神喪失の状態にあったし、そうでないとしても心神耗弱の状態にあったものである旨、それぞれ主張するので、以下において判断する。
二 弁護人の主張の第一点について
関係各証拠(殊に、Dの各供述)によると、まず、Dについては、判示のとおり、本件犯行当時、約二六〇万円の借金を抱えていたのに、仕事もせず徒遊していたのであり、その返済の見込は全く立っていなかったこと、Dは判示のとおり、被告人の両親の財産に関する相続関係及び主たる相続財産につき被告人から聞いたほか、昭和六一年八月下旬に被告人が家出をし、その両親の預金通帳等を持ち出した際、右通帳等の預金残高合計が約二〇〇〇万円あったことを見知っていたこと、Dは、自らの貧しい経済状態にもかかわらず、本件犯行の直前である同六二年六月下旬から同年七月初めにかけ、乗用車の販売店を数回訪れ、価格約二八四万円の普通乗用車を現金で購入する旨の契約をしていること、それゆえにDは、多額の金銭を必要としており、被告人の協力を得つつ、被告人の両親を殺害したうえ、同夫婦に帰属する全財産につき、被告人をして相続により包括承継させて、自らもその利益を享有したいと考えるとともに、その場合には被告人らの犯行であることを隠蔽する必要から犯行現場にある現金等の財物をも強取しようとの意思を有していたことが認められるところである。
そして、関係各証拠(殊に、被告人の捜査及び公判段階における各供述)によると、被告人において本件犯行に至るそもそもの発端をなしていたものは、かなり以前から抱いていた両親に対する強度の嫌悪感であったこと、被告人はDに好意を抱くようになり、Dとの同棲生活を望むようになったが、昭和六一年八月下旬の被告人の家出の一件後、以前にまして両親から厳しい監視を受けるように感じるとともに、両親からDについての悪口も聞かされるうち、被告人たちの同棲にとって最大の障害となっている被告人の両親に対する殺意を現実のものとして意識するようになったこと、加えて、被告人はDが生活費等に困窮していることを知り、Dに対し会う度に小使い銭を渡すような状態であって、Dがオートバイの購入代金のローン返済等に苦慮していたことなども熟知していたこと、かようなことから、被告人としては、自分にとって耐え難い両親による日常の監視を完全に取り払うとともに、Dの当時の負債を清算したうえ、さらに被告人とDによる同棲生活の経済的裏付けを得るべく、Dに対し、金が必要なら被告人の両親を殺害して金を取るしかない、両親には現住所の土地建物、預金等相当な財産があり、その相続人は被告人一人である旨持ちかけ、Dとの間で判示共謀をなすに至ったものと認められる。なお、被告人の公判段階での供述中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
以上のとおりであり、被告人はDと共謀し、自己らの殺害行為であることを隠蔽する意図のもと、行きずりの第三者による強盗事件に見せかけるため、被告人の両親を殺害したうえ犯行現場にある現金等の財物を奪取しようとし、さらにすすんで、被告人の両親に帰属する全財産についても被告人が相続により包括的に承継し、財産上不法の利益を得ることをも企図していたと認められ、右認定に反する弁護人の主張は採用できない。
なお、本件のように被害者の相続人たる地位にある者が被害者を殺害して相続名下にその財産を奪おうとする行為について、刑法二三六条二項にいう「財産上不法の利益」を得ようとしたといい得る場合があるかについては、これを否定する立場もあり得ると思われる。しかしながら、本件において被告人らが強取の対象とした財産上の利益については、被告人らにおいて被告人の両親の有する財産の全部をつぶさに把握認識していたわけではないものの、その主要な財産である前記土地建物の利用利益及び預金債権などについての十分な認識があり、これらはいずれも具体的な利益であり、しかも右土地建物は被告人が日常生活に使用していたもので、被告人の両親が死亡すれば相続により直ちに被告人の単独所有となるばかりでなく、現実的にも管理占有してその利用利益を完全に自己の手中に納め得ること、並びに預金債権についても、本件犯行前に被告人らは預金等のおおよその合計額を把握していたうえ、被告人の両親が有していた多数の預金通帳等の所在及び金融機関からの払戻しに必要な登録印鑑等が被告人方金庫内に保管されていることをも了知しており、被害者らが死亡すれば相続により被告人が右通帳、印鑑等を単独所有することになるばかりでなく、現実的にも被告人が占有することとなり、被告人は自己の両親の相続人として、いつでも右預金債権の払戻しを受けられる状態となるのであり、かような本件の具体的事実関係に照らせば、被告人らが被告人の両親を殺害することにより、被害者両名のもとに帰属していた右の財産等の諸利益は、相続により被害者らの唯一の第一順位相続人たる被告人にすべて帰することになるものと認められ、しかも、かような財産上の利益の移転は、相続名下とはいえ、抽象的なものではなく、極めて現実的かつ具体的な利益の移転と評価し得るものである。そして、判示のとおり、被告人及びDは、いずれも被告人の両親を殺害して相続により前記のごとき現実性の高い財産上の利益を奪取することを企図していたものであるから、被告人及びDの本件各犯行が刑法二三六条二項の「財産上不法の利益」を得ようとした行為にも該当し、これが未遂にとどまったものと認定できるものである。
たしかに、民法上はかような犯罪を行った者が刑に処せられたときは相続欠格事由に該当することになるものの(民法八九一条一号)、殺人行為(未遂を含め)の存在そのものが当然に欠格事由になるのではなく、犯行が発覚しなければ刑を受けることもないため、被害者たる被相続人の財産を包括承継した状態を継続できるもので、被告人らもこれに対応し自己らの犯行を隠蔽すべく、行きずりの第三者による強盗事件に見せかけるため、ことさら現場に存する金品を奪取することをも計画したのであるから、本件各犯行が刑法二三六条二項の強盗罪の未遂にも該当するとみることにつき、民法の右規定が障害となるものとは思われない。
ちなみに、元来、強盗殺人未遂罪は、強盗犯人が強盗の機会に人を殺害しようとして殺害の目的を遂げなかった場合に成立する犯罪であり、強盗罪または強盗未遂罪と殺人未遂罪の結合犯と解されるところ、本件は強盗未遂罪と殺人未遂罪との結合犯の事案である。そして、本件の場合に成立した強盗未遂罪は①いわゆる一項強盗(財物強盗)の未遂なのか、②いわゆる二項強盗(利益強盗)の未遂なのか、③それとも一、二項を包括した強盗の未遂なのかの法的評価の点が問題となるが、当裁判所は、判示事実関係に照らし右③の一、二項を包括した意味での強盗未遂罪が成立し、これと各被害者に対する殺人未遂罪とが結合し、各被害者ごとに強盗殺人未遂罪が成立するものと考える。
三 弁護人の主張の第二点について
まず、被告人の精神状態についての、起訴前の捜査機関による鑑定嘱託及び当裁判所における鑑定の各結果をみると、捜査段階の鑑定受託者である斎藤惇作成の鑑定書(以下、斎藤鑑定という)によれば、要するに、被告人は、鑑定時には強迫観念を主徴とする精神分裂病に罹患しており、その発病は被告人が中学一年生の頃と考えられ、本件各犯行当時も精神分裂病の状態にあり、強迫観念から両親への殺意を払拭することができないでいたところ、さらに両親が自己の思いを寄せるDとの交際や同棲生活にとっての障害にもなる存在となったと考えて行動したものであるが、人格崩壊は著しくなく、かつ了解可能な動機もあることから、責任能力が完全に消失した状態には至っていなかったというのであり、鑑定人福島章作成の鑑定書(以下、福島鑑定という)によれば、要するに、被告人は、鑑定時には両親に対する殺意という支配観念を特徴とする、いわゆる精神病質(分裂病質)と精神病の境界例の状態にあり、本件各犯行当時においても同様の状態にあり、年来の支配観念の現実というほかに、Dの金銭上の苦境を救い、あるいは両親から開放されてDと同棲するための資を得るという考えから行動したものであるが、成熟した精神分裂病者のように全く正気の側面を失っていないことから、心神耗弱の状態にあったというのである。
このように両鑑定は、被告人が本件各犯行当時に主として両親に対する殺意という観念に強くとらわれていたとする点では一致しているものの、その精神状態についての判断を異にしているところ、当裁判所も関係証拠に照らし、被告人が主として両親に対する殺意という抗し難い観念にとらわれていたことから本件各犯行に及んだと認定するのが相当であると思料するので、以下両鑑定の内容を検討しつつ、被告人の本件各犯行当時における精神状態を考察する。
なお、両鑑定とも、被告人につき顕著な脳器質性疾患、遺伝的負因、知能低下、意識障害を認めない点で一致しているもので、関係証拠によってもこの結論を左右するに足る事情は窺えない。
さて、福島鑑定は、被告人につき境界例と診断する根拠として、①親に対する殺意は自己親和的な、いわゆる支配観念であり強迫観念ではないこと、②自我障害が認められないこと、③思考、感情及び意志の面では、いずれも衝動性が高進し、反面で感情統御能力が減弱していた可能性があり、しかも思考に偏りがあり、あらゆる現象を親に対する殺意によって説明しようとする過包括的傾向と、感情面での強烈かつ異常な両親に対する偏執的憎悪が存在していたが、感情の鈍麻や冷却は認め難く、外形的行動自体はほとんど具体的、適切なものであったこと、④積極的に精神分裂病(とりわけ単一型)と診断しうる根拠がないこと、をあげている。
まず、親に対する殺意を支配観念とする点についてであるが、被告人の関係各供述によれば、かような殺意を抱くに至った時期は遅くとも小学校六年生頃で、その後強弱はあったものの、同様の心情を持続してきたこと、中学時代にはこのような考えが行き過ぎだと感じたことがあり、そのため自分で怖くなりガタガタ震えることがあったことが認められ、この点は、斎藤鑑定の一七頁及び一八頁や福島鑑定の二二頁及び二三頁などから窺えるように、各鑑定時の問診における被告人の応答内容とほぼ一致するものであり、とりわけ両問診において被告人は、概ね中学、高校時代に、両親に対する殺意を抱く自分をおかしいのではないかと疑ったりしたこと、両親に対する殺意の感情が特にすさまじかったのは中学のときで、自分自身が怖かったこと、また斎藤鑑定において被告人がそのことで悩みもしたことを述べていることを考慮すると、犯罪における殺意としての成熟度に若干疑問は残るものの、小学校六年ないし中学入学頃から被告人の内面に拭い去れない両親への嫌悪感の明確な芽ばえが認められ、時として殺意に似た心理状態に陥っていたこと、しかも、その心理状態は被告人自身の内面において葛藤状況を生じさせていたものと認められる。したがって、被告人が有していた両親への殺意は、自我親和的なものではなく、逆に自我異質的なものであって、斎藤鑑定の指摘するように強迫観念と解される。
ところで、強迫観念と解した場合、両鑑定にあるように被告人が本件犯行の頃には右のごとき内面的悩みをほとんど窺わせなくなった点を検討せねばならないが、それは斎藤鑑定の指摘するように、被告人には感情面、とりわけ同情、羞恥や自責等の人間的感情の鈍化が進行しており、その結果、徐々に悩み、苦しむことの度合が少なくなってきたものと解される。福島鑑定は、被告人の感情障害について、問診などからみて感情の平板化や冷たさがあるとしながらも、感情の鈍麻、冷却は認め難いとする。しかしながら、関係証拠に照らしても、被告人がDに対し両親への殺意を打ち明けてのち本件各犯行に出るまでの間、被告人には自分達の行為によって両親の死がもたらされることについて、顕著な心理的動揺を窺わせるところがなく、また、本件各犯行を目にした時点でもほとんど顔の表情を変えることがなかったこと、さらには、被告人の関係供述や両鑑定の各関係部分によると、被告人は本件各犯行後の逃走中、犯行時Dが着用し、洗ってもなお両親の血液の付着が窺えるシャツを平然と身に着けるなど、本件各犯行の前後を通じて被告人の感情面での後退は著しいといわざるを得ず、かような状況は斎藤鑑定に相応するものであり、この点において感情の鈍麻や冷却を認めない福島鑑定を採用することは躊躇される。
次に思考障害をみると、両鑑定の指摘するとおり、被告人の思考内容には異常が存する。この異常は、福島鑑定の言葉を借りれば「過包括的」な傾向であるが、関係各証拠によれば、この傾向は昭和六一年八月下旬の被告人の家出の以後に著しい悪化を示していることが窺われる。なお、斎藤鑑定は軽度の連想弛緩も存するとするが、福島鑑定も指摘するとおり、斎藤鑑定での問診の応答状況のみからは、直ちにこれを連想弛緩と断定するだけの決め手に欠けるといわざるを得ない。
また関係証拠によれば、被告人は、Dから、Dがスパイであり、双子の兄弟がいたがその一方が殺害されたとか、Dも外国に逃げなければ殺害されてしまうなどといった全く現実性のない話を聞きながら、しばらくはこれを信じていたことが窺われ、斎藤鑑定のいうように、被告人には人格の未熟さと自我境界の不鮮明さも認められる。
加えて、斎藤鑑定は軽い意欲の減弱の存在を指摘し、その根拠として、被告人には若者らしい健康な前向きな生活態度が失われ、大学受験などを放棄するに至っている点をあげるが、この状況のみで意欲の減弱を推認することは躊躇されるところである。逆に、被告人は、判示のとおり、昭和六一年八月下旬に突然家出したり、その後Dに対して被告人の両親の殺害を持ち掛けたりしており、また関係証拠によれば、犯行直後に両親の面前からDとともに逃走したことが認められるが、これらの事情は福島鑑定の指摘するように、被告人の精神衝動の異常な高進を強く推認させるもので、この点で本件各犯行前後における被告人の意志面での異常が認められるというべきである。
なお、被告人に幻覚あるいは妄想の症状を認めうるかについては、たしかに被告人は第八回公判において、①小学校六年生になるころから、ときおり他人の姿を見たようなときにその人物が被告人の悪口を言っているのではないかと感じたことがあったこと、②昭和六三年八月に被告人が東京拘置所から横浜拘置支所に移監になった後の一時期に、拘置中の被告人の付近に多数の小さい虫を認めたことがあった旨供述するが、被告人の供述するところを前提としても、①については、被告人においてそのように感じるという程度のもので、言葉自体を耳にするという態様のものではないこと、②については、かような状態は昭和六三年八月より前にはなかったし、その症状も一、二週間の後には投薬により治まったというもので、時期的及び場所的に限定されたものと窺われる。そして、前記両鑑定ともに、被告人につき幻覚や明確な輪郭を有する妄想を認めていないことに鑑みると、少なくとも本件各犯行の共謀成立時点からDによる実行終了時までの前後を通じて、被告人に幻覚及び妄想の症状はなかったと認められる。
以上の考察から当裁判所は、本件犯行の共謀成立時からDによる実行終了時の前後を通じて、被告人には異常と評価すべき感情障害、思考障害及び意思障害が認められ、かつその質並びに程度は病的範疇にあると解されること、被告人が両親に対する殺意という強迫観念にとらわれ始めたのが遅くとも小学校六年生頃という早期であったこと、これに両鑑定の各意見を参酌したうえ、結論的には斎藤鑑定と同様に、被告人が判示本件各犯行当時には精神分裂病(単一型)の発症状態にあったものと判断する。そして、主として精神分裂病の右にあげた三障害が、本件各犯行における被告人の動機及び行動を著しく規定していたというべきであるが、他面、判示のとおり本件に関する動機のうちには、Dに対する思慕という了解可能な部分があり、外形的行動自体はそれなりのまとまりを示しているから、成熟した精神分裂病者のように正気の側面を完全に喪失しているといえないことに照らすと、被告人は本件各犯行の共謀成立時点からDによる実行行為の終了時点までの間において、是非善悪の弁別能力及びこれに従って行動する能力を欠いた心神喪失の状態にあったのではなく、判示のとおり右弁別能力及びこれに従って行動する能力が著しく劣った心神耗弱の状態にあったと認められる。弁護人の主張は右の限度で理由がある。
(法令の適用)
被告人のB及びCに対する判示各所為は、いずれも刑法六〇条、二四三条、二四〇条後段に該当するところ、所定刑中無期懲役刑を選択し、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条二号により法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示Bに対する罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、なお犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇〇日を右刑に算入することとし、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件各犯行は、被害者の両名の一人娘である被告人が、交際中のDと共謀のうえ、自己の両親を亡き者にしてその全財産を自己らの思いのままにせんと企て、Dにおいて殺害を敢行したものの未遂に終わったという事案であるところ、被告人らにおいて謀議を重ねた結果の計画的犯行で、その犯行態様を見るに、Dにおいて、凶器を準備したうえ、深夜自宅で就寝中の被害者両名の頸部をカッターナイフで切りつけ、目覚めて抵抗する被害者両名に対しさらにカッターナイフや鉛棒等で攻撃したというもので、極めて危険かつ執拗であり、しかも被害者両名に与えた障害は頸部等多数個所に及び、その結果は決して軽いものとはいえない。そもそも本件に至る発端は被告人がDに対し何度となく自己の両親への殺意を打ち明けたことにあり、また被告人の本件の主たる動機は多額の借金を作りながら無為の生活を送っていたDとの同居生活を夢見たというもので、Dが被告人の手に入れるであろう被害者両名の財産で借金を返済したうえ、さらに徒遊生活を続けようとしていることを概ね了解していたものであるから、後記精神障害の影響によると思料される点を別とすれば、本件の動機は共犯者D同様に自己中心的かつ短絡的であり酌量の余地は乏しいといわざるをえない。また、就寝中に暴漢に見舞われた被害者両名の恐怖感は想像を絶するものがあったと考えられ、とりわけ、自分達の一人娘が犯行に加担していたことを知らされた被害者達の精神的衝撃は察するにあまりあるというべきである。かような事情に鑑みると、被告人の刑事責任はまことに重いといわざるをえない。
他方、幸い本件各犯行がいずれも未遂に終わったこと、本件を敢行するうえでは、被告人の現実的加担の程度は低く、Dに比して従属的役割を果していたにとどまること、被告人は本件犯行当時、判示のとおり精神病の状態にあり、とりわけ本件各犯行の動機形成には右疾患の関わりが大きかったと認められること、被告人には全く前科前歴がないこと、被告人は若年であり、本件各犯行が被告人の成人後間もない時期になされたものであること、被害者両名は依然として一人娘である被告人の行く末を案じ、被告人を将来にわたって監護する意志を有するものと窺い得ることなど、被告人に有利に斟酌すべき事情も認められる。そこで、以上の事情を総合考慮して、主文のとおり量刑する次第である。
(求刑・懲役七年)
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官奥田保 裁判官沼田寛 裁判官八木貴美子)